神様は大きな存在であられます。神様は宇宙全ての中にでさえ入りきる事はありません。神様は無限の方であり全て制限あるものを作られました。私たちには色々なものが制限されていますが、神様には制限がありません。私たちは自分たちが何者であるか、そして自身の出来る力についてなんとなくイメージを持っています。ところが、人間の世的な人生観と敵であるサタンは、私たちから希望と夢を奪っているのです。各人は神様から与えられた役割がありますが、それは究極的には他の人に対する奉仕です。もし私たちがそのポテンシャルに達しないなら、時には他の人は奇跡を体験する事がないかも知れないのです。

自分自身に対するイメージは私たちの目標に対して制限をかける事があります。もし私たちが自分自身を単なる凡人だと見なすなら、その通りになるのです。しかし、神様は私たちを特別な存在として創造されたのです。神様は私たちが現在経験しているものよりも遥かに優れた計画を持っておられます。ここで重要なのは、世が定義する素晴らしいものと、神様が定義する素晴らしいものとは別であるという事です。

私たちの考える事が常に肉の思いから来ているなら、その言動の判断は全て霊的な洞察を排除している事になります。そうすると私たちは現実だけを見てしまい、人間的な解決方法ばかりに頼ってしまいます。真理は現実を変える力があるのに、現実という小さな世界観で諸々の解決を図ろうとする事は、神様に頼らずに自分で解決するという選択なのです。クリスチャンにとってその様な問題の解決方法は致命的です。特に霊的な問題が背後にある場合などでは、解決どころか悪化させてしまう事もあるでしょう。

もちろん、問題を解決する事ばかりを考えて主に頼ったり、主のみこころを知ろうとする態度も見方が偏っています。主の導きに沿って歩むとは以下の事を含みます。

  • それは他の人を助けたり福音を述べ伝える事に始まり、
  • 福音の知らせを通して御国を前進させて、
  • 最終的に神の子供としてこの地上を治めるというビジョンです。

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩編 37: 4

主を私たちの喜びとして人生の一番上に置いた時に、つまり神の御国を第一に求める時に、私たちは御霊の思いによって明確に物事を考える事ができ、真理に基づいた判断ができるようになります。御霊の思いによって普段から考えていると、肉の思いから来る考えとは全く違う聖書的な願いや夢を描くようになります。その様な思いは神様から来ているものです。利己的な目標達成がないので、純粋に主の計画を知る事ができるのです。究極的に私たちが知るべきものは、主にあって私たちが何を具体的にするべきか、どういう召しでどの様な形で御国の働きができ、どの様にユニークな神の子として存在すべきかでしょう。これこそがこの世で生きる希望であり力なのです。

あなたの小さな人間的な考えによって、神様の無限の力を制限するのは愚かな事です。それよりも内にいるキリストを知って、聖霊の無限の力があなたに宿っている事を知り「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と宣言しましょう。夢の到達には時間が掛かりますが、一歩ずつ踏み出していけば必ずたどり着きます。